今調べたら、イタリアがリラからユーロに切り替えたのは2002年のことだそうな。もう25年も前のことである。
ちょうどその頃、ローマに1月ほど滞在したことがある。アパートを借りて、私の他にあと3人+子供1人で滞在。
現地集合現地解散で、私が契約したものなので、一番最初から一番最後までいたのは間違いない。
で、初日。アパートの引き渡しも終えてまずは食料調達に近くの観光市場カンポ・ディ・フィオーリへ。
この前まですんごい数の0がついていて、いったいこれは日本円にしたらいくらになるのかと直感で切り替えるのにいつも桁がわからなくなって、2万円のはずないから2千円だな、っていう程度のいい加減さで十分通用したイタリアであった。
それがユーロに切り替わって、私の頭はついていけなくて、言われるままにお金を払ってアパートに戻りしみじみ計算してみると、パンと牛乳とコーヒーとハムと卵とチーズ、チューリップを一束買っただけなのに、6千円を超えているではないか!
嘘だろ、今までの感覚なら2千円位の物量だぞ?
とりあえず、後から集合するメンバーに「すっごく物価が高い!」とお知らせした。
2日後、1人到着。
一緒に買い物。「ほんとだ、たっか!」
観光市場だけではなくスーパーで買っても、なんだか以前のローマとは違うのだ。
私たちだけではなく、イタリ国民もリラからユーロへの切り替えに半信半疑というか、慣れてないというか、ホントにその計算合ってる?
電卓たたいて0,1685なんて数字出たら、2ユーロにしてるだろ絶対!そこはせめて1ユーロだぞ!
4日後、もう一人とおまけの子供到着。
こいつらはパリ在住なのであるが、「パリもさぁ大変なんだけどさぁ、イタリア人には無理だよねぇ。」
まったくである。この算数は、イタリア人には酷な政策である。1桁間違っても、誰も気が付かない。
だがそんなイタリアが好きだったので、私たちもおおらかな気持ちで付き合っていたのである。
一週間後くらいに最後の一人が到着。
初めての朝なので、一緒にカンポ・ディ・フィオーリのパンと葉っぱを買うのに付いて行きたいというので、よしよし、覚えてね、これからお当番が買いに行くのよ。なんて話ながら買い物。
パンはこのパン屋さんで、チーズはこのおじさん、葉っぱはこのおばさん…。
パン屋は値札があるのだけど、チーズとか葉っぱは1㎏いくらな表示しかないから、いつもそれより小さい数字であることしか確認していなかったけど、まぁそんなもんよ。
あれ?さっきの葉っぱ「ウナ」だったよな。あぁ?このチーズも「ウナ」か?えぇ?あっちの店の葉っぱも買ってみるか?え?「ウナ」なにぃ?新しい花も買ってみる?「ウ~ノ!」お姉さんがにっこりしながら渡してくれた。
小さな市場である、メンバーは変わらない。きっと「あのジャポン、毎日来るねぇ」「んだ、言った通りのお金を払っていくな、機嫌よく」「だよねぇ、いい子なんだろうねぇ、そろそろいいかね」「んだな」
と皆でコーヒー飲みながら話したんだろうな、でその日からどこで買っても1ユーロを1枚だけ渡して、足りないとも言われないが、お釣りももらわない。愛してるよローマ!
言いなりになって払うからと言ってぼったくる方向へは行かないのが、あの時代の愛するイタリアなのである。
その後2年後くらいに行ったとき、私たちは本当に心を痛めた。
ユーロ切替直後の間抜けな騒動が終わった後、現実を直視したイタリアの人々は、厳しい経済状況を認識してしまったのであろう。ローマの裏通りのバールで朝から晩までくっちゃべっていたおじさんたちの数が激減。わんさかいたおじさんたちがイメージでは1/5位になってしまっていた。
きっと「あんたねぇ、何でもいいから働いてきておくれよ!バールでくっちゃべってたって、1ユーロにもならないいんだよ!パスタも食べられやしないよ!」と妻やマンマに言われて、近所の人から見られるバールにたむろしてるわけにはいかなくなったのであろう。
ほんとにどっかで働いているのか、外から見えない場所にひっそり集まっているのかは定かではないが、愛するカンポ・ディ・フィオーリも、すっかり観光市場になってしまっていた。

